作っていたのは「未来の自分の居場所」だった
「PERCHの場所は、学習塾だった」「当初はドロップインも可能な、オープンスペースをイメージしていた」…。知られざるPERCHの立ち上げ秘話を教えてくれたのは、PERCHメンバーの間野健介さん。ベクターデザインの社員時代にはPERCHのローンチに携わり、現在は「株式会社ケイカ」の代表取締役としてPERCHに入居しています。
知る人ぞ知る、PERCHの始まり。間野さんにはそのエピソードから伺いました。
あえて選ばなかった、”オープンな場”という選択肢
─間野さんはPERCHの立ち上げにも関わられたと伺いました。
間野:はい、私がベクターデザインの社員だったころ、このスペースには子ども向けの学習塾が入居していました。その塾が移転して空きスペースになったときに、「ここ、空いたから使わない?」とビルの大家さんからベクターデザインへ打診がありました。そのとき社長の梅澤さんが、ある場所を作りたいという話をしていたんです。
─その「ある場所」の話が、PERCHが生まれるきっかけになったんですね。
間野:今では当たり前になっている、フリーランスに代表されるような「働き方の多様性」についての情報に、梅澤さんは当時から敏感で「働き方や業種の違う人たちが身近にいたら、自分たちも助けてもらえるし、逆に手助けができるところもあるよね」といっていたんですね。
多彩な職業の人が集まれる場所をどう作ればいいのかと、そのころ流行し始めたシェアオフィスやコワーキングスペースに訪れて調査をしていました。そういうところによく出入りしていたのが私だったので。
─すると、PERCHは他のスペースを調べたうえで、“あえて”オープンにはしなかったと。
間野:当時の私が思い描いていたPERCHのイメージは、ドロップインでも利用できて、知らない人同士で大きな机を共有するような、もっとオープンな形のシェアオフィスでした。当時からも、そのようなスタイルが一般的でしたから。
あえてその方向にかじを切らなかったのは、「クローズドなシェアオフィス」というコンセプトを、梅澤さんが徹底していたからですね。思い返せば、それはやっぱり大正解だったと思います。一時のブームが過ぎて、なくなったシェアオフィスも多いですからね。PERCHはつながりのある人たちだけが使える場所だから、今も変わらずこうして継続できているのかもしれませんよね。
安心感に包まれる場所は、未来の自分の居場所になった
─PERCHのゆったりとした雰囲気の理由は、そこにもありそうですね。
間野:変な言い方かもしれませんが、オープンだったらピリピリすると思うんです(笑)。オープンであるがゆえに、守られなくなる要素がやはり増えてしまうんですよね。今でも継続しているシェアオフィスは、ある程度のクローズドな部分をちゃんと持っているところが、割合多く残っている印象があります。私がここに戻ってきた理由も、独立した後の場所としても最適だったからなんです。
─PERCHに入る立場になったとき、どんな点が最適だったのでしょうか?
間野:PERCHは当初から「PERCHメンバーやベクターデザインとつながりがあって、信頼がおける人が入れる場所」というコンセプトにしています。入居する際にも秘密保持契約をベクターデザインと結ぶかたちで、PERCHの他のメンバーとも相互に守られるようになっています。そのため、このスペースではクローズドな情報もオープンにできる安心感があります。もしかすると自宅よりも長くいる場所になるので、そういう意味でも安心感というのは、すごく重要なファクターかもしれませんね。
正攻法とは違う方法で、「学校」を作りたい
これまで個人事業として仕事を続けてきた間野さんは、PERCHに戻ってから約3年半を経た今年9月、株式会社を設立しました。法人化のきっかけは2020年度から始まる、小学校でのプログラミング教育。そして、その先に見据える目標は「学校を作ること」だといいます。
ゆくゆくは「一条校」を作りたい
─法人化の先に見据えている目標や、新しい事業について教えてください。
間野:法人化を決めた大きなきっかけは、来年度から小学校でもプログラミング教育が始まるこのタイミングで、「教育分野でもう少し面白いことができないか」という興味を持つようになってきたことです。プロトタイピングやフィジカルコンピューティングを得意分野として仕事をする中で、プログラミング教育の講師や女子大でのワークショップを担当させてもらう経験はあったのですが、「自分が教える」とは、また違う方向性で教育と関わっていきたいと思ったんです。
そこで「教える」という正攻法ではなく、システムで教育のインフラ作りを事業としてやっていきたいなと。まず教育インフラを作り、その先の展開としてインフラに乗った形の学校を作れないかというビジョンを描いています。
─現在の事業の延長線上から教育へと、新しい道筋を作るような感じですね。
間野:ちょっと遠回りかもしれませんが、自分の立ち位置から教育へ乗り出すには、そのステップがいいのかなと思っています。最終的には一条校の卒業資格を得られる学校を作るところまでが、一応の目標です。やりたいことを突き詰めたとき、既存の枠組みの中での信頼、つまり法人格はあったほうが便利だなという結論に至った結果、法人化という選択肢をとりました。
PERCHで得られた、法人化後のリアルな情報
─法人化にあたって、PERCHが役立ったことはありましたか?
間野:PERCHに入居してから法人化された方は、既にいらっしゃいました。細かい話はあまりしていないですが、「社会保険、結構大変だよ」とか「法人名義の口座を作るときに固定電話あったほうがいいよ」とか、経験に基づく話を教えてもらったり、その方たちの仕事を側で見ているうちに、法人になるうえでの事前知識を自然と得られたりしましたね。
右も左も分からない分野に直面すると、何でもいいから情報が欲しくなりますよね。ネットからでも得られはしますが、実際に知っている人から聞いた話のほうが、生身のある情報として体に入ってきやすくて、のちのち自分の言葉で語れる知識になる気がします。法人化するにあたって、社会保険の話や人を雇うことといったリアルな情報を、身近な人からの話として聞けたのはよかったです。
メンバーとの「アウトプットとインプットの循環」が生まれる場所
チームプレーが苦手で、組織の中での身の振り方に悩みを抱えていたという間野さん。あるとき「なければ自分で作ればいい」という発想に転換できるようになってから、ずいぶん気が楽になったと振り返ります。この「なければ作る」は、実は他のPERCHメンバーにも共通するマインドだといいます。
─お話を伺っていると「ないものは作る」というマインドが、一貫しているように思います。
間野:独立する前の会社員時代はチームプレーが苦手で、自分がどう身を振っていったらいいんだろうと、すごく悩んだんですよね。当時はどん詰まり感というか、閉塞感もすごく感じてましたし。あるとき、その閉塞感は「何かを選ぼう」と思ってるからなのかなっていう気がして、選ぶのではなく「自分で作っちゃえ」という発想になってからは、大変なことも増えましたけど、ずいぶんと気が楽になったなと思います。
─その心理的な転換には、PERCHの影響もありましたか?
間野:それも大きな理由だと思います。PERCHには「なければ作る」マインドの人が多いですからね。みなさん私と畑違いのジャンルで、第一線で活躍している人ですから、一流の人が作っているものを見ると、やっぱり少し刺激を受けるんですよね。「すごくかっこいいもの作るな」とか「そこをまとめ上げたんだ…」とか。ここにいることで個人の力が増幅されるというのは、本当に大きいですよね。
─間野さんの目から見て、PERCHメンバーはどんな人たちでしょうか?
間野:例えば、私の持っているプログラミングのスキルは、今ではだいぶ体系が整ってきて、学び方を間違えなければ誰でもだいたい書けるようになります。それとは一味違う、体系的な学習ではなかなか体得できない、一筋縄ではいかないものを作るスキルを、それぞれ違う分野で持っているのが、PERCHのメンバーなんじゃないかと思います。PERCHの中にいると特に「自分にはないスキルを持っている」ということを、肌身で感じられて、メンバー同士で互いを尊敬しやすい環境なのかなと、そんな気がしますね。
─最後に、これからPERCHに入りたいと思っている方に、ひと言アドバイスを。
間野:PERCHはクローズドなスペースですが、自分自身がクローズドになっている必要はなくて、ちゃんと自分の芯を持ったうえで、他の人の話もフラットに聞けるような心持ちでいると、すごくいいことがある場所ですよと、伝えたいですね。まったく違うジャンルの人からの刺激の強いアウトプットが豊富で、自分にとってのいいインプットになって、また新たなアウトプットになるという、循環があるのがPERCHの特徴だと思います。
株式会社ケイカ/間野 健介
WebプログラマーでMaker(工作者)でもある代表の間野氏。
CMSなどのプログラミングにとどまらず、デジタルガジェットやインタラクションなどのプロトタイピングやフィジカル・コンピューティングを得意としています。
プログラミング教育などのワークショップも頻繁に開催。
PERCH内の大きなテーブルに見慣れない電子機器が広げられ、さながら実験室のように工作とプログラミングが繰り返されるのはおなじみの光景。
取材編集/常山 剛